第1回 南淵明宏先生

今回のゲストは心臓外科医の南淵明宏さん。
『ブラックジャックによろしく』のモデルでもある南淵先生は有力大学やスポンサーの後ろ盾もなく、腕一本で自らを世界的心臓外科医へと導きました。
権威主義の支配する日本の医学会はそんな南淵先生を必ずしも正しく評価しているとはいえませんが、南淵先生が率いる大和成和病院心臓病センター(当時)では毎年、日本でもトップクラスの500件以上の心臓大血管手術が行われています。何よりも患者たち(市民)が南淵先生の「腕」を認め、信頼している証しでしょう。
南淵先生は同センターのHP に「我々が行っている手術は当たり前の手術。高度でもない、ごくありふれた、一番安全で効果的な手術を心がけています。最先端の手術の恩恵を被りたいとお考えの患者さんは『そういった医療』を売り物にする他の医療機関におかかりください。」と書いておられました。自らの技術への揺ぎない自負。医療における真のプロフェッショナリズムというテーマを考えるとき、私がいつも南淵先生を思い浮かべる所以はこんなところにもあります。

急性心筋梗塞と歯周病の関係

安藤

南淵先生といえばやはり人工心肺を使わない、心拍動下環状動脈バイパス手術の日本におけるパイオニア――のイメージが強いのですが、術後の患者さんの体のことを考えれば、人工心肺を使わずに済む技術はまさに画期的だったわけで、一つにはそれは、南淵先生の持つ患者第一の姿勢の結果でもあると思います。いわば患者の潜在的なニーズに見事に応えられたわけですね。 実際、歯科でも一般医療でも、医療および医療技術は患者さんのニーズによって生まれてくる部分が少なくありません。そして医師が患者さんの潜在的なニーズに敏感でいると、いろいろな意味で既成概念からの脱却につながるケースも増えてくる。

南淵

そうですね。「研究のための研究」ではなく、医師自身が常に患者と接して得られる、現場からのニーズに基づいて考えたり研究したりするという態度は医師にとって非常に重要だと思います。その延長線上のケースで、私が始めた研究の中には、実は歯科の世界と密接につながっているものがあります。

安藤

それは何ですか?

南淵

急性心筋梗塞の患者と歯周病の関係です。

安藤

なるほど。

南淵

私は毎年200件以上の心臓外科手術を行っていますが、急性心筋梗塞で運び込まれてくる人たちを見ていると、かなり重度の歯周病の人が少なくないという印象を以前から受けていました。それでこれはもしや両者に何らかの関連性があるのでは……と思い、いろいろ調べてみると、アメリカで同じ趣旨の論文が出ていました。
日本では東京歯科大学の奥田克爾教授がやはりそれに着目した優れた研究をすでにしておられることを知り、奥田先生に共同研究をお願いしたのです。

安藤

そうなんですか、奥田先生は私の恩師なのでよく存じ上げております。

南淵

そのように目をつけて、実際に心臓の外科手術時の冠動脈壁の組織片を分析してみると、通常はありえない歯周菌がそこから見つかった。歯周菌が見つかったからといって、それが病変の結果なのか、あるいはそもそもの原因になのかはまだわかりません。しかし、歯周菌がそんな場所にあること自体がこれまでの常識を覆すわけで、両者の密接な関係はそれだけでも十分に想像がつく。

医者に必要なのは科学的探究心

南淵

奥田先生のような一部の歯科の研究者の間では、それはよく知られていることのようですが、医科の世界ではまったく認知されていない。同時に歯科の世界でのそうした認識が、医科のほうに発信されることもない。
医療法が規定する医師といえば、医師と歯科医師しか認められていないというのに、実際には医科と歯科の間には非常に大きな溝があるのだということを改めて実感しました。

安藤

確かにその通りですね。

南淵

とにかく、歯周菌とあらゆる病気の関係とを改めて調べてみると、宝庫のようにいろいろなことが出てくると思います。

安藤

奥田先生のご研究では確か、歯周病が高齢者の呼吸器感染症や心臓冠状動脈を含む動脈硬化、さらには糖尿病や未熟児出産など、さまざまな病気と密接な関係にあることが検証されていますよね。逆にいえば、口腔ケアが日常的な全身の健康や、病後のリハビリなどにも有効だという重要な事実がその研究からわかってきている。

南淵

ところがそういうことは、医師になるための教科書にはまったく書いてない(笑)。書いてないけれども、日常の診療や手術などの経験を通して、「これは、なぜなのか?」「ひょっとすると、こうなのではないか?」というようなサイエンティフィックな探究心は当然、普通なら出てくると思うんです。
でも行動する人は非常に少ない。歯科の方々のほうがむしろ、そういう探究心をお持ちの方が多いのではないですか?

安藤

いやいや、奥田先生のような優れた研究者ならともかく、全体の傾向として探究心が欠如しているのは歯科も同様といいますか、状況はもっとひどいかもしれません(笑)。

研究のきっかけは患者さんの肩こり

安藤

サイエンティフィックな探究心といいますと、例えば私は4年ほど前に、かみ合わせが全身の健康にどのような関係を持っているかについての論文を発表しましたが、これも研究を始めたきっかけは純粋な探究心からでした。
1990年にUCLAの日本校を出て意気揚々としていたころだったんですが、いわゆる「かぶせ直し」という治療を何人かの患者さんにしました。磨耗して変化しているかみ合わせの部分もすべて緻密に再現しまして、それを患者さんの残された歯にかぶせるわけです。私としてはもう、学校で習った以上の緻密なものを作り、これで完璧だと自画自賛していた(笑)。ところがその後、同じ治療をした患者さんたちから次々と、「先生、最近肩こりがひどいのですが、歯と関係あるんでしょうか」と聞かれるようになったんです。
「えっ? それはウチで治療し始めてから?」と私が恐る恐る聞くとみんな「そうだ」という。それだけじゃなく、さらに「腰痛も出た」という人が何人もいる。 私は悩んでしまいまして、UCLAで習った教授に聞いても「ノープロブレム。君は完璧な治療をした」という答えしか返ってこない。しかし、自分に対する不信感がどうにも消えなくて、有名な先生方をお訪ねして教えを請うたんです。それでも、みんな「問題ない」という。ある有名な咬合学の教授に至っては「あのね、安藤先生、そんな患者さんは相手にしないこと」。

南淵

なるほど(笑)。

安藤

私は歯周病とインプラントについてはスウェーデンのイエテボリ大学で習ったんですが、そのイエテボリ大学の先生たちに問い合わせても、みんな「肩こりや腰痛と、歯のかみ合わせが、どう関係あるんだ? わからない」というばかりです。それで仕方なく、自分で地道に研究を始めたわけです。 忘れもしない平成2年の頃でした。同時期に母校の解剖の教授に協力をお願いしてご遺体を1体いただきまして、筋肉の勉強も再勉強しました。その後約10年間で600人以上の患者さんに協力をお願いして、かぶせ直しの治療を行い、肩こりや腰痛を軽減させて参りました。その結果、かみ合わせによっておこるさまざまな全身症状との関係が明らかになったのです。

南淵

それがやがて「かみ合わせと声の研究」にもつながっていくわけですね。

安藤

そうなんです。

美声の秘密はかみ合わせの良さ!?

安藤

かみ合わせの研究を本格的に始めて、それを治療にも取り入れ始めたわけですが、そのころからうちのクリニックに芸能界の人たちがよく治療にくるようになった。

南淵

ほう。

安藤

実は私、学生時代にダンサーをやっておりまして(笑)、まだ若いころのパパイヤ鈴木さんなんかはダンサー仲間だったんです。

南淵

すごいですね(笑)。

安藤

そういう前歴が知られているわけじゃないんでしょうけど、クリニックを開業したら不思議と芸能関係の人がくるようになって、一時期、かみ合わせ治療の患者さんの3割はそういう人たちでした。
ご存知の通り、芸能人にとって歯のかみ合わせは、歯並びとともにとても重要なんですね。するとかみ合わせの治療をした彼らのうちのかなりの数が、かみ合わせ治療の結果として「活(滑)舌がよくなった」というんです。口がよく開くようになって「声が伸びるようになった」という人も少なくない。それがヒントになって、今度はかみ合わせと声の関係へと研究が広がったわけです。

南淵

しかし、「かみ合わせと声の関係」の研究というのは、例えば大学の先生などにいわせれば「なかなか目の付けどころがいいね」ということになるのかもしれないけれど、安藤先生から見れば当たり前のことなんですよね。ごく普通に患者さんを診ていて、日頃患者さんに対して思っていたことの結果であって、いわば先生の日常が生み出した着眼点なんです。マーケティング的にひねり出したアイデアではない。それはつまり、安藤先生が患者さんの本当のニーズに気づいたということじゃないかなと、僕は思うんです。

安藤

そうですね。

南淵

だから、医師が自分のクリニックや医療活動を活性化するのは、マーケットをつくろうとしたり、そのためのマーケティング戦略を立てることなどより、禅問答的な言い方になるかもしれませんけど、やっぱり平常心が重要だと思いますね。市井の視野、日常、そういったところから出発した取り組みが大事だと思います。
そういう意味では、安藤先生の「かみ合わせと全身症状の研究」や「かみ合わせと声の研究」は、私の「急性心筋梗塞と歯周病の関係」への着眼と、まったく同じ地点からの発想ですね。
でも「かみ合わせと声の関係」というのは面白いですね。実は私はオペラが大好きで、よく観に行くんですが、オペラ歌手の舌は楽器でいうとリードのような役割を果たしているわけですよね。

安藤

そうです。

南淵

その舌の働きも周囲の歯のかみ合わせが作る口腔の千変万化の空間性によって非常に大きな影響を受けるわけですね。そう考えるとかみ合わせの具合が活舌(歯切れ)の良し悪しや声の伸びの良し悪しを規定するというのは、とてもわかりやすい。発声のことに関しては、オペラ歌手にしても他の芸能人にしても今はまず耳鼻科に行くと思います。でも安藤先生の研究がさらに進めば、「声のことなら歯科へ!」という時代がくるかもしれない(笑)。

「普通の感覚」と飽くなき技術の追究が医師を磨く

安藤

今まで私たちがしゃべってきたことはすべて、患者さんの持っている潜在的ニーズといいますか、医師に求める本当のニーズを感じ取るのは医師の感性だということの例証ですよね。

南淵

そうです。病院の経営者的観点からみるとそれもマーケティングということになるわけでしょうが、マーケティングも意識しすぎると、患者さんのニーズを超え、ニーズを作ってしまおうとする傾向が出てくる(笑)。それが儲け主義の過剰な治療にもつながる。あくまでも自然発生的なものであることが重要なんです。
私が手術のビデオ収録を始めたのも、元はといえば患者さんのニーズの先取りみたいなものだといえます。

安藤

ああ、そうなんですか。

南淵

患者さんが見てもわからないかもしれないけど、自分の手術がどのように行われたのかを知りたいと思う人もきっといるだろうし、何よりもビデオが回っていれば、医者も手抜きができないだろうと思ってもらえる(笑)。でも、そういうことは医師が特別な存在なのではなく、患者さんと同じ地平にいる、隠し事のない「普通の感覚」の一個の人間同士の関係なんだという感覚が双方になければ成立しない。逆にそれがあれば、患者さんの本当のニーズというものが医師にも感じ取れるはずなんです。なのに、みんなそれをやろうとしない。そういう意味でも、安藤先生がまず患者さんの「肩がこる」というつぶやきを無視せず、自分に原因があるのではないかと率直に自分を見つめなおすことから始めて、さまざまな研究につなげていった姿勢は素晴らしいと思います。

安藤

いやいや、私のことはともかく、要は南淵先生のおっしゃる「普通の感覚」ですよね。患者さんとのコミュニケーションがすべての基本であるはずの医師は、それがないと終わりだと思います。でも最近は患者さんもずいぶん変わってきて、きちんと自分の希望を伝えられる方が増えてきましたよね。南淵先生の患者さんも、自分の意思で直接、先生のところに手術を頼んでくるケースが少なくないんじゃないですか?

南淵

今はたぶん、6割から7割ぐらいの患者さんが、直接的に来られますね。以前は他の病院からの紹介が多かったんですが、心臓の手術はリスクが大きいですし、医療事故なんかのニュースも日常茶飯に報じられていますから、患者さんとしても自分で決めた医師に手術してもらいたいと考えるようになったのだと思います。そういう傾向は4~5年ぐらい前から顕著になりました。

安藤

またそういう患者さんは、よく勉強もしていますよね。

南淵

そうなんです。自分の病気のことはもちろん、どこにいい病院があってどこにいい医師がいるか、あるいはその逆のケースについても、医師仲間より患者さんのほうがよく知っている(笑)。昔はそういう患者さんは「うるさい患者」ということでたいていの病院は敬遠していた。今やそういう患者さんに、なんとか探し当ててもらえる病院でないと商売にならない(笑)。だからそういう病院を目指すという目標に目覚めた病院も増えてきて、それはいい傾向ですよね。

安藤

事前の説明もほとんどいらないぐらいに勉強している患者さんが多いですね。でも、それだけに医師も病院も、より以上に勉強していかなければならない。歯科でいえば、かみ合わせは髪の毛1本分のズレでもジャストフィットしませんからね。

南淵

そうした微妙なニーズを解決できるのは、先ほども話に出たサイエンティフィックな探究心と、妥協を知らないプロ意識や職人気質を原動力とする、飽くことなき技術の追求の結果です。患者さんもそれを正確に判断しようとする時代になりつつあります。心臓外科でも歯科でも、それはまったく同じことだと思います。